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スタッフ便り

長野県とヤクルトのつながり【PRセンターだより】

ヤクルトの創始者、代田博士は長野県で生まれました。

PRセンターに訪れる方の多くがこれを聴いて驚かれます。
意外と知られていない事実ですが、実は長野県とヤクルトには深~いつながりがあるんです!
今回は、長野県からはじまる、ヤクルトの誕生秘話をご紹介いたします。

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1899年(明治32年)、長野県飯田市 の 天竜川沿い の 伊那谷 で生まれた代田稔。
代田の家は、紙問屋と養蚕業を営む裕福な家でした。
友達から“ぼーま”とよばれ、元気な少年だったといいます。

1913年(大正2年)になると、代田は旧制 飯田中学(現飯田高校)に入学します。
片道8キロの道を毎日通いながら代田は、いろいろなことを知りました。

そのなかで、ふるさとのほうには貧しい家がまだ多く、
子どもたちが栄養不足で命を落とす現状に心を痛めた代田は、
胸の内にある想いを抱くようになります。

“ぼくは医者になる。いつかあの子どもたちを救えるような医者に…”

 

1918年(大正7年)、代田は 第二高等学校三部 (現東北大学医学部) に入学します。
仙台では学校の寮に入り、三畳一間で暮らします。

そして1921年(大正10年)、京都帝国大学医学部 に入学。
ここで、本格的に消化管に住む微生物の研究に取り組みはじめました。

そのころの日本は栄養状態も衛生状態も悪く、もちろん冷蔵庫などもなかったため、
赤痢やチフスといった伝染病が日本中に流行していました。

ここで代田が考えたのが“病気にかからないための医学” — 予防医学です。人の体を強くしてくれる菌を見つけ出し、その“菌をもって菌を制す”ことで、病気に負けない体をつくる。そのための研究は昼も夜も続きました。

▲ヤクルト創始者 代田 稔 博士

代田の研究の執念は、長野で過ごした少年時代にありました。
“強い乳酸菌こそ、子どもたちの強い体を作るはずだ。”

そんな代田の想いは、昭和5年、医学博士の学位をとり、京都帝国大学の講師となった年の暮れに実を結びます。代田が強化培養した乳酸菌 シロタ株が完成したのです。

そしてこのシロタ株こそ、今日のヤクルトの生みの親となりました。

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いま、東京都国立市のヤクルト本社中央研究所内には、医学博士 代田 稔 の生涯と、その歴史を受け継ぎ、研究技術開発活動を行うヤクルト中央研究所の取り組みを紹介する『代田記念館』があります(見学は完全予約制となっております)。

実はその入り口にも、長野県のヒノキで作られたヤクルトが展示されています。

長野県とヤクルトのつながり、みなさまはご存知でしたか?
これからも、長野県のみなさまに健康のお役立ちができますよう、たくさんの情報をお届けしたいと思います♪

ヤクルトPRセンターでした(^^)/

 

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